イタリアの
シルビオ・ベルルスコーニ(Silvio Berlusconi)首相(73)が13日、同国
ミラノ(Milan)で行われた政治集会終了後に男に襲われ、顔面から出血、歯を折るなどのけがを負った。
襲撃後、同首相は
側近らに車に乗せられ、
ミラノ市内の病院に搬送された。病院によると、首相は歯が2本折れたほか、鼻を骨折、
上唇の内側と外側に
切り傷を、顔面に
打撲傷を負った。1〜2日様子を見るものの、手術の必要はなさそうだという。
伊ANSA通信は、首相が緊急治療室を出る際、「私は
大丈夫だ」と言っていたと報じている。
テレビ映像には、首相が人々に囲まれて話していたところへ、突然男が突進してきて、首相の顔を一撃する様子が映っている。襲撃した男(42)はその場で取り押さえられ、警察当局に引き渡された。
ANSAによれば、凶器は
ミラノ大聖堂の
ミニチュア像だという。男には
精神障害で10年の通院歴があり、男の担当医が地元警察に事情を聞かれていると報じられている。男は
十字架と
催涙ガスを所持していたという。
首相は数年前にも
ローマ(Rome)で同様の攻撃を受けた。このときは若者に
カメラの三脚で殴られ、頭部を負傷している。(c)AFP
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シルヴィオ・ベルルスコーニ(
イタリア語: Silvio Berlusconi(
ヘルプ・
ファイル)、1936年9月29日 - )は、
イタリアの政治家、
実業家。首相(第74・79・81代)。
下院議員(4期)。
自由の人民党首(初代)。現在のイタリア首相である。
フォルツァ・イタリア党首(初代)、
ACミラン前会長を歴任した。
プロフィール 実業家
イタリア北部のロンバルディア州ミラノ生まれ。父親は
銀行員で、中流家庭の長男として育った[1]。小学生の時には
パペット劇団を結成して収入を得るなど、子供のころから商才は際立っていた[2]。
ミラノ大学法学部を卒業した後は歌手や掃除機
販売業として活動し、
建設業で成功する。
「
メディア王」
1978年に地方
民放TV局「テレミラノ」を開局 、1988年には
百貨店「スタンダ」会長に就任し、一代で建設・流通・メディアにわたる
企業グループ、「
フィニンベスト」を築き上げた。
特にメディア部門を統括する
メディアセットは、全国的な
地上波放送を行う
民間放送4局のうち、「
Italia 1」、「Rete 4」、「Canale 5」の3つを所有する。「イタリアのメディアの70
パーセントを
コントロールする」といわれる。
「
ロッジP2」
ベルルスコーニが「ロッジP2」に加入した際の会費の
領収証1978年には、「
ネオ・
ファシスト党」として知られる極右政党の
イタリア社会運動(MSI)の幹部の党員で、後に
ボローニャ駅爆破事件などの極右テロや、
ロベルト・カルヴィ暗殺事件の主犯格として逮捕された
リーチオ・ジェッリ代表が率いる「ロッジP2」のメンバーとなった。なお「ロッジP2」は、元々は
フリーメイソンであったものの、
南アメリカの
反共軍事政権への違法な援助などを理由に、1976年にフリーメイソンとしての承認を取り消されて以降は「反共極右
主義者の
秘密結社」として活動していた。
なおジェッリが逮捕された後の1981年3月に、当時いくつかの
経済犯罪及び極右テロ、
政府転覆謀議などへの関与の容疑でイタリア当局に
逮捕状が出されていたジェッリ代表の
ナポリの別宅をイタリア警察が捜索した際に、既に「認証されない
ロッジ」となっていた「ロッジP2」に、下記の10人を含む932人のメンバーがいることがジェッリ代表が持っていた
リストから確認された。
その中には、
第二次世界大戦後の王制廃止により亡命生活を余儀なくされていた
ヴィットーリオ・エマヌエーレ・ディ・サヴォイア元
イタリア王国王太子の他にも、後にベルルスコーニ政権下で
国防大臣を務めた
アントニオ・マルティーノーを含む30人の現役将軍、38人の現役
国会議員、4人の現役閣僚、更には
情報部員やベルルスコーニをはじめとする実業家、
大学教授などが含まれており、「P2事件」と呼ばれイタリア
政界を揺るがす大
スキャンダルとなった。
「ロッジP2」とジェッリ元代表は、ベルルスコーニが右派人脈を構築することに大きく貢献し、またベルルスコーニ政権下の2007年に、ジェッリ元代表が
カルヴィ暗殺事件において
無罪判決を勝ち取った際には、ベルルスコーニが何らかの影響力を行使したと言われている。
政治家へ
政治家への進出は1990年代に入ってから。1993年頃から追及が始まった汚職
疑惑で、
キリスト教民主主義を始めとした政権与党が
崩壊寸前に陥る間隙をぬって、1994年1月「フォルツァ・イタリア」を結成。豊富な資金力と支配下のメディアの積極的な活用で下院議員に当選し、
国民同盟と
北部同盟と
連立政権を画策した。自身は同4月、戦後第53代イタリア首相に就任。
しかし翌年には政治家になる前の
贈賄の疑いで起訴され、更に
連立与党間の対立が引き金となって政権は崩壊。一度は
下野したものの、2001年
総選挙で再び勝利し、再度首相となった。
再び政権について以降は、メディアセットの競合となる
国営放送「RAI」に対しても影響力を行使しようと画策。2002年にはメディアセット社が、民放1局を
衛星放送に切り替えるように
憲法裁判所から
判決を下されたものの、翌2003年12月にいわゆる
ガスパリ法案が議会で
可決。メディア寡占規制が緩和されると同時に、国営放送RAIは分割
民営化されることになると見られていた。しかし、イタリア内外で非難を浴びたため、
カルロ・アツェリオ・チャンピ大統領は署名を拒否し、
法案を下院に差し戻した(参照:
イタリア共和国憲法)。
2003年の
エヴィアン・
サミットに参加(右端)。
シラク、
ブッシュ、
ブレアの各
首脳と2003年7月2日、2003年下半期の
欧州連合理事会議長国の
政府首脳として
欧州議会で
演説し、彼を批判した
ドイツの
マルティン・シュルツ議員に対し、「
シュルツさん、私は
ナチス時代のドイツの
強制収容所に関する映画の製作者を知っています。あなたを看守役に提案しましょう。あなたならピッタリだ!」と発言し、問題となった。2004年の
夏季休暇中に、密かに
プチ整形と
植毛を行ったことで世界中の話題となった。
2009年12月13日、
ミラノ中心部で演説中に42歳の暴漢からミラノの
大聖堂の
ミニチュア模型を投げ付けられ顔面を直撃し、鼻や歯2本を折り全治15日の重傷を負った。
放言・失言
2008年11月の
ロシア訪問にて、
ロシア連邦大統領の
ドミトリー・メドヴェージェフ(右)と。この訪問時の発言が物議を醸した
奔放な人柄の
ベルルスコーニ奔放な人柄で
カリスマ性を持つが、
ヨーロッパ文明以外の世界に対する差別主義とも取られるような放言・失言が物議を醸すことも少なくない。
アメリカ同時多発テロ事件の直後には「残念ながら
ムスリムは1400年前の価値観に留まっており、西洋世界はムスリムや
共産主義者にはない、自由を
愛する原則と価値観を護らねばならない」と発言して物議を醸した。
"con la sinistra al potere, miseria terrore e morte"(左翼が権力を握ると悲惨、恐怖、死が来る)と主張し、一方で
イラクの
サッダーム・フセイン大統領と比較して「
ムッソリーニは政敵を殺したり引退させたりしなかった。離島に
追放しただけ」と発言した。
2003年7月:
EU議長国の演説で、彼を批判したドイツのマルティン・シュルツ議員に対し、「私はナチス時代のドイツの強制収容所に関する映画の製作者を知っています。あなたを看守役に提案しましょう。あなたならピッタリだ!」と発言した。
2005年:
フィンランドのスモークトナカイについて「
パルマ産の
ハムのほうが比べ物にならないほど美味い」と発言し、
フィンランド人を怒らせた。なお2008年フィンランドの
ピザが
アメリカで行われた料理の国際
コンペティションで
イタリアをおさえ優勝したが、このピザレストラン・コティピザでは、
トナカイを使ったピザに「ベルルスコーニ」と名づけている。
2006年4月:「選挙期間中は
セックスを断ちます」と公に宣言した。
2006年4月:チャットガールに自分と政敵のプローディ氏についてどう思うか尋ね、党員に「9人のチャットガールのうち7人の若い
女の子が私のほうが
好きだと言ってくれたんだよ。これはすごいニュースだろう。」と報告していた。その日の新聞各紙の
見出しは
経済危機に関する問題(税金、あるいは公共支出)によって占められると思われていたが、ベルルスコーニ首相の
赤裸々な告白が各紙の見出しを占領してしまった。一方、プローディ陣営のあるメンバーは、「首相をおだてたチャットガールたちは、エロチャットに電話をかけてきた必死な男を担ぎ上げただけでしょう」と話した。
2006年4月:
総選挙を前に「わたしは我慢強い犠牲者。この身を投げだし、すべての人々のために犠牲になる、自分はまるでイタリア
政界の
イエス・キリストのようだ」と述べた。先日、自身を
フランス皇帝の
ナポレオン・ボナパルトと比較し、話題になった矢先のことだった。
2008年4月15日の記者会見で、
スペインの閣僚の過半数が女性になったことに対して「
ピンク過ぎる。イタリアではありえない。イタリアは優秀な男性にあふれているし、閣僚にふさわしい有能な女性を見つけるのは容易ではない」と。
アメリカ合衆国大統領の
バラク・オバマと2008年11月6日:ロシア訪問中の記者会見でバラク・オバマが
アメリカ大統領選に勝利した話題に触れ「
オバマは若く、
ハンサムで、そして
日焼けしている」と述べ、
野党議員たちから「良くても配慮に欠ける発言、悪ければ
人種差別だ」と批判された[10]。
2009年9月27日の演説でも、「何て名前だっけ? あの日焼けした男。ああ、バラク・オバマだ」と、再び「日焼け」という言葉を使った。また、
ミシェル・オバマ大統領夫人に関しても「君たちは信じないだろうが、
ミシェルも日焼けしているから、2人で
ビーチに行ったんだ」と語った。なお、同月に行われた
G20ピッツバーグ・サミットの開幕レセプションで、ミシェル夫人は多くの首脳と
キスや抱擁を交わしてあいさつしたが、ベルルスコーニ首相には握手だけで対応した。[11]
2009年1月:イタリアで多発する
レイプ事件に関して、対策を議会から求められたとき『イタリアには可愛らしい女の子がたくさんいるから、レイプをなくすことは無理だ』と発言した。また批判に関しては、『
イタリア人女性を褒めただけ』と述べた[12]。
フランスの
ニコラ・サルコジ大統領夫人の
カーラ・ブルーニが
イタリア系である事を挙げ、
サルコジに対し「あなたの妻は私があげた」と発言した。ベルルスコーニと極めて親しい関係にあるサルコジも、さすがに不愉快そうな表情になったと言う。
家族
離婚問題のきっかけとなった18歳の少女ノエミ・レティジア(Noemi Letizia)
現妻の
ヴェロニカ・ラリオ
前妻
カルラ・デッローリオとの間に
長女マリア・エルヴィラ(通称
マリーナ)と長男ピエルシルヴィオ、現在の妻ヴェロニカ・ラリオ(本名:
ミリアム・ラッファエッラ・バルトリーニ。元女優で「
ベロニカ・ラリオ」と映画界では表記されていた。)との間に次女
バルバラ、
三女エレオノーラ、次男
ルイージがいる。
2009年5月に18歳の少女ノエミ・レティジア(Noemi Letizia)との親密な関係が発覚、更には2009年7月頃、ベルルスコーニ
買春疑惑が浮上し報道が過熱。妻のヴェロニカ・ラリオから
三行半を突きつけられ、毎月350万
ユーロ(日本円で約4億6000万円)の生活費を請求されていることが報じられた